成道会

12月8日は、お釈迦様が悟りを開かれたことをお祝いする「成道会(じょうどうえ)」の日です。お釈迦様はシャカ族の王子として生まれ育つ中で、何不自由のない恵まれた生活を送っていました。しかし、ある時「人は生まれてきた以上、必ず年老いていくし、また病気にもかかる。そして何より死というものは誰でにも必ず訪れる」という自然の摂理に気づかれます。この逃れようのない苦の現実をいかに受け止め、解決することができるのか。お釈迦様はその答えを求めて29歳のときに王子の地位も、約束された将来も、恵まれた財産も、そして家族すらも捨てて出家の道へと入られたのでした。

その後、二人の修行者のもとで禅定を学び、また6年にもわたる苦行を続けられるのですが、この生活ではどうしても、本当の意味での心の安らぎを得ることができませんでした。お釈迦様は心と体の関係を「琴」にたとえて考えました。「琴の弦は、緩んでいては良い音色を奏でることはできない。これは欲望に自らを任せた生活である。ここに本当の安らぎはない。しかし、弦は張りすぎると切れてしまう。それは自らの命を失うような苦行の生活だ。ここにも、本当の安らぎは存在しない。」と気づかれました。欲望に任せた自堕落な生活でも、命を失いかねない苦行でもない「ちょうど良い張り具合」にこそ、本当の安らぎがあるのだと感じたお釈迦様は、苦行を離れ、身体を癒やし、菩提樹の木のもとで座禅に入りました。

樹下で瞑想するお釈迦様に様々な悪魔が立ちはだかり、妨害します。悪魔は、お釈迦様を悟りの座から追い払おうとして美女を遣わし、誘惑させました。また、風を起こし、大雨を降らせ、熱い炭火を投げつけ、灼熱の灰を降らせ、暗闇を引き起こすなど様々な手を使って、攻撃を繰り返しました。しかし、お釈迦様はこれらすべてをはねのけ、退けました。降魔というのは、人間が本質的に抱えている欲望、嫌悪、飢渇、怠惰、恐怖、疑惑、偽善などお釈迦様が出家して以来、6年余の修行・苦行中につきまとった世俗への誘惑と揺れる心の葛藤を表したものであろうと言われています。そして一週間の後、ついにお悟りを開かれたのでした。

人生苦というものも、自分の心が作り出したものであり、誰もが避けて通れない、思うままにならないことであると受け止めることで、苦悩の連鎖から開放されるとお釈迦様は人生苦の真理を解明され、悟りを開かれました。成道が得られなければ、多くの人々が救われることもなかったし、仏の教えも説かれなかったわけです。凡人にとって悟りは理解できないところですが、仏教の影響を受けた、アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズ氏の今でも語り草になっている2005年のスタンフォード大学卒業式のスピーチの内容は、おそらく成道ではないかと私は思っています。3つ目の話で「死は、生命による最高の発明であり、古いものを取り除き、新しいものを生み出す」と言っており、そして何より大事なのは、自分の内なる声がかき消されないように自分の心と直感に従う勇気をもつ必要性を説いています。「死は誰もが逃れられない真実で生きる時間は限られています。毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずそのとおりになる。今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」と語りかけており、これは重い言葉だと思いました。私はこのスピーチをビデオで何回も見て考えさせられましたが、仏教で説く「生きることは苦の連続である」という現実の中でどう自分は生きていくのかが今生の課題なのでしょうか。このスティーブ・ジョブズのスピーチをアップしますのでよろしければ是非、皆様もご覧になって考えてみてください。