新嘗祭

毎年1123日、全国の神社において新嘗祭(にいなめさい)が行われます。「新」は新穀(初穂)、「嘗(にえ)」はごちそうを意味し、天照大御神はじめすべての神様に新穀をお供えして、神様の恵みによって新穀を得たことを感謝するお祭りです。五穀豊穣を祈願した217日の祈年祭と相対するお祭りで、この日、宮中では天皇陛下が感謝をこめて新穀を奉るとともに、御自らも召し上がります。天皇を中心とした中央集権国家づくりが強力に推し進められてきた中で新嘗祭は国家行事として位置づけられてきました。今でこそ、「新嘗祭」というと秋のお祭りといった感じですが、その起源は、中央集権国家づくりという背景があったので今でも天皇が斎行されているのです。天皇が中心ですから、この国を統治する正統性を示すために、儀礼、法律、歴史書といった重要プロジェクトを押さえながらつながりをつけていました。

新嘗祭の起源は古く、「古事記」にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。今は新嘗祭から勤労感謝の日へと呼び名は変わっていますが、「収穫を祝い感謝する」という本来の意味は変わっていません。新穀を酒と飯で嘗める(なめる)ことから、新嘗。そのお祭りなので、新嘗祭といいます。神話で日本の美称として登場するのが「豊葦原千五百秋瑞穂之地(とよあしはらのちいほあきのみずほのち)」といって、「豊かな葦の茂る広大な原で大量に永遠に豊かな稲穂が収穫できるみずみずしく素晴らしい地」を意味します。至高なる存在、天つ神によって予祝された、豊かな秋の実りが約束された地が日本なのです。古代の日本人が「稲」に対して並々ならぬ信仰や想いがあったことが伺えます。

神話では、稲の発生起源は「保食神(うけもちのかみ)」の腹の中にあったそうです。それを天上に持ち帰り、天照大御神が「人民が食し、人民に活かすものである」と意味付けしました。そのうえで、種として植え、育ててみると、秋には豊かな実りを得ました。天照大御神自らが率先して、稲の育成方法を示しました。さらに、新嘗は当然のこととして行い、これにより、植えて→育てて→実って→お祭りする、というサイクルが天上世界で確立されます。これを承けて、天孫降臨に際し、天照大御神から「斎庭(せにわ)の穂」として火瓊々杵命(ほのににぎのみこと)に授けられ、これが地上世界へもたらされたのです。最後に、地上世界でも新嘗が行われたことをもって、天上世界と同じサイクルが確立されました。

ある意味、天照大御神が模範を示しているとも言え、現代の天皇の「親耕(しんこう)」、つまり、宮中で田んぼを営む仕事にもつながっている訳ですね。神代における新嘗の起源神話が現代に受け継がれています。今、私達が普通に食べているお米には、そんな神話的背景があったのです。この壮大な世界観、構想力、古代日本人の情熱と知恵の結晶がお米であり、日本は水稲に適した国であることを示すものです。その年に収穫された新穀(特に稲)を天照大御神はじめ天神地祇にお供えし、五穀豊穣を感謝するとともに、天皇自らもこれを食べる「共食」の儀式が新嘗祭です。その起源が、日本神話にあり、天上で行われていることを地上でも再現するという形で伝えられています。今年の新嘗祭は、ぜひ、稲に対する古代日本人の格別な信仰や思想といった壮大なロマンをもってチェックしてみてくださいね。日本と欧米の食文化の違いを著した古典としては「肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見」があります。一読をおすすめします。