さつまいもの日

さつまいもは、スペイン人やポルトガル人によって東南アジアへ持ち込まれ、中国へ伝わり、1600年頃に、中国から日本の琉球(現在の沖縄県)に伝わりました。条件の良くない土壌でもよく育つさつまいもを薩摩(現在の鹿児島県)でも栽培しようと考えた薩摩藩の前田利右衛門が、1705年に薩摩に持ち帰り、栽培を始めます。

もともと中国の呼び名で「かんしょ」と呼ばれ、中国から来たものだから「唐芋(からいも)」とも呼ばれていましたが、薩摩に伝わった時に、「さつまいも」と呼ばれるようになりました。薩摩藩ではさつまいもを領内から持ち出すことが禁止されていましたが、1700年頃に伊予(現在の愛媛県)や対馬(長崎の離島)にこっそり持ち込まれ、栽培が始まります。1732年の享保の大飢饉で西日本が深刻な食糧不足に陥り、多くの人が餓死しますが、さつまいもを栽培していた地域では餓死者が出ず、さつまいもは飢饉に強い食べ物として日本中に知られることになりました。

そして、江戸幕府の青木昆陽(儒学者・蘭学者)がさつまいもを普及させようと江戸へ取り寄せ、東日本にも広まっていきました。江戸に近い川越藩(現在の埼玉県川越市)と、隣接する村(現在の所沢市、狭山市、新座市など)でもさつまいもの栽培が盛んに行なわれるようになり、品質がよく最高級品とされ、「川越いも」と呼ばれるようになります。川越から江戸までは距離があり、陸路でさつまいもを運ぶのは大変でしたが、江戸と川越は新河岸川でつながっていたので船で運ぶことができ、川越はさつまいもの大産地になっていきました。

「さつまいもの日」は昭和62年に埼玉県川越市の「川越いも友の会」が制定しました。1013日がなぜ、さつまいもの日なのかというと、さつまいもの旬が10月であることと、さつまいもの美味しさを褒める「栗よりうまい十三里」という言葉が由来になっています。「栗よりうまい十三里」の「十三里(およそ52km)」は、江戸から川越までの距離です。川越のさつまいもがとても美味しかったことから「十三里」という異名がつけられたそうです。「栗よりうまい十三里」は、「栗よりもおいしい川越のさつまいも」という意味になります。また、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+413)」という掛詞にもなっています。

さつまいもは、もともと「八里半」という異名がありました。これは、江戸時代に京都の焼き芋屋さんが看板に「八里半」と書いたことが由来となっています。なぜ「八里半」かというと、焼き芋が栗の味に似ていたことから「栗(九里)にはやや及ばない」というダジャレだったそうです。さつまいもといえば鹿児島が思い浮かびますが、埼玉県川越市のさつまいもがいちばんおいしいようですね。川越ではさつまいものスイーツが数多く販売されており、食べ歩きも楽しめます。1013日には、秋の味覚であるさつまいもを使った料理をご家庭で作って味わうのも良いでしょう。