子牛が生まれた日に

最近、子牛が生まれました。当社には100頭を超える繁殖牛といわれる母牛がいますが、母牛には子牛を無事に産むという大仕事があります。牛は安産の動物と言われますが、それでも事故が起こることはたまにあります。出産の度に元気な子が生まれてほしいなと思います。出産というものに対して本能的に無事を願うのは人間も牛も同じで元気な赤ちゃんを生んでほしいという自然な気持ちだと思います。牛の性格にも依るらしいのですが、出産を機に性格が変わることがあります。母牛が子牛の世話を上手にできないこともあるとのことです。特に初めての出産時に生まれたばかりの子牛を舐めに行かないこともあるそうです。当社は繁殖から肥育まで一貫しているので子牛を子牛市場で売ることはありませんので、すぐに離れ離れになることはありませんが、母牛は妊娠しなくなったり、年を取ったりすると経産牛として牛肉となって販売されます。子牛はやがて肥育牛となり、「きたかみ牛」として市場に出されていくことになります。牛は恩返しをする動物といわれており、毎日、牛の世話をする畜産課の社員は牛に情熱と愛情を注いで、牛は美味しい肉となって恩返しをしてくれているのだと思います。

家畜は経済的メリットを生み出すために生と死を繰り返しているという現実があります。私達は家畜の生命を頂いて生きています。生産者は経済活動として生計を立てるために牛を育てています。私達は食事の前に「いただきます」と言っています。これは、その食事に関わってくれた人たちへの感謝だけでなく、食材そのもの、その生命に対する感謝を言っています。肉だけでなく、魚、野菜、米、小麦、大豆、蕎麦などにも生命があります。私達人間は生き物の生命を自分の体内に取り込むことで生きながらえています。私が牛舎を訪れる度に再認識させられるのは、私達がたくさんのいのちを奪って生きていること、自分の欲に任せて必要以上のいのちを奪わないように生きなければいけないということです。私達、人間も自分のいのちを無駄にせず「いただきます」という気持ちで日々を生き、寿命まで全うし、生き抜いた末に「ごちそうさま」と死んでいくのだと思います。

テーブルやお膳で自分の前に置かれる箸は、自然界と人間界の境界を示すものです。私達は箸を手にとって、自然界とつながります。そして、大切な生命をいただくのです。仏教では精進料理が示す通り、殺生は最も重い戒めで、肉や魚を使わない理由のひとつは、動物や魚は「死」をはっきりと感じさせるからだそうです。肉や魚を使わないと意識することで私達が普段いのちを奪って生きていることを思い出すきっかけにしているのです。また、自分が生きていくために必要最低限の栄養をとるためだけとされています。肉や魚は栄養満点なのでたくさんのエネルギーを生み、必要以上に精力がつきすぎるからとも考えられています。同様の理由で、野菜の中でも精力がつきすぎるニンニクやニラは精進料理のメニューから外されています。

 

しかし、道元による禅宗では「典座教訓(てんぞきょうくん)」という教えがあり、生き物の生命をいただく料理こそ、いのちの大切さを知る修行そのものであると捉えられています。精進料理を食べたから殺生をしなかったと考えるのではなく、食材とは生命そのものであり、肉も魚も野菜も穀物もそれぞれが生命の塊であると意識したとき、初めて「私達は生きるためにはいのちを奪わないと生きていけない存在である」ことに気づき、つくる側は素材を大切に扱って料理をし、食べる側が感謝を込めて残さずに食べることができるようになります。フードロスなどは言語道断で、飽食の時代と言われて久しい現代への戒めとして生産者も消費者も食を捉えていかなければならないと思います。食べ物と、自分の命に感謝を込めて「いただきます」と「ごちそうさま」をいつも声に出して言ってくださいね。